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Busy P来日インタビュー:Daft Punk (Thomas Bangalter)復帰の舞台裏と、フレンチ・エレクトロが向かう次の20年

Because Music 20周年の奇跡から、サブレーベルEDの始動、日本への想いまで。Ed Banger主宰が語る“これから”

フレンチ・エレクトロニック・ミュージックの歴史を語るうえで、Busy P (Pedro Winter – ペドロ・ウインター)の存在は欠かせない。Daft Punkのマネージャーとしてキャリアをスタートさせ、Ed Banger Recordsを設立。Justice、Breakbot、SebastiAn、Mydらを世に送り出しながら、常にシーンの変化を最前線で見つめ続けてきた。


2025年、Because Musicの20周年イベントで実現したDaft PunkのThomas Bangalter (トーマ・バンガルテル)の16年ぶりのDJ復帰、そしてFred again..のサプライズ出演は、フレンチ・シーンにとって歴史的な瞬間となった。その裏側で何が起きていたのか?さらに、新たに始動したデジタル特化サブレーベル「ED (Exclusively Digital)」に込めた想い、若い世代への視線、日本のクラブカルチャーへの深い敬意までを、TJOがインタビューした。




TJO:僕はDJとして約20年活動してきましたが、Ed Banger、そしてフレンチ・ダンスミュージック全体から受けた影響は計り知れません。Because Musicの20周年、そしてThomas Bangalterが16年ぶりにDJとして復帰するなど、今年のフランス・シーンは再び歴史的な瞬間を生み出しました。舞台裏で何が起きていたのか、新しいアーティストについての考え、そしてこれからのダンスミュージックの行方について、ぜひ聞かせてください。

ー Because Music 20周年イベントについて



TJO:Thomas Bangalterが16年ぶりにDJとして復帰し、さらにFred again..が参加したことで、大きな話題となりました。あの夜の雰囲気はどんなものでしたか? また、あなた自身はあの“瞬間”をどう受け止めていましたか?


Busy P:本当に素晴らしい祝いの瞬間だったよ。Because Musicの20周年という節目で、フランスでもっとも重要なインディペンデント・レーベルのひとつだし、僕らは長年一緒にやってきた。同時に、会場となったポンピドゥー・センターが5年間の改修工事に入るために閉館するタイミングでもあった。だから「とにかくその場にいたい」と思わせる特別な夜だったんだ。チケットは8,000〜9,000枚があっという間に売れた。

観客のために、何か特別なサプライズを作りたかった。イベントの数週間前、Daft PunkのThomasとランチをしたんだけど、彼が「BecauseでDJするの?」と聞いてきた。僕が「Erol Alkanと一緒にDJするよ」と言ったら、「それなら、僕も何枚か一緒にかけようかな」と。

正直、「え、マジで?」って感じだったよ。

Thomasは映像作品を展示していて、すでにイベントの一部に参加していた。彼自身も才能あるディレクターだからね。それで「じゃあDJしようかな」と言ってくれた。もちろん、めちゃくちゃ興奮した。

同時に、フランス南部に滞在していたFred again..にも連絡した。「電車で数時間だよ、来て一緒に踊ろう、祝おう」って。そしたら彼も「行くよ」って。

すべての惑星が一直線に並んだような感じだった。とにかく秘密にしたくて、誰にも知られないようにしていた。でも、Fred again..が登場して、その後にThomasが現れた瞬間、観客は完全にパニック状態だったね。




ー イベントのDJラインナップとキュレーションでこだわった事



TJO:DJラインナップ全体は、どのように考えて構成したのでしょうか?

Busy P:Ed Bangerのパーティーだから、まずはMyd、そして新しく契約したTatyana Janeを呼んだ。レーベルのカラーはしっかり出したかった。


そこに友人たちを加えた。Erol Alkan、Sofia Cortes、そしてパリ出身の新人Mayou Picchu。彼女は女性DJをもっと増やそうとしている存在で、オープニングから素晴らしいセットを披露してくれた。夜全体の空気を完璧に作ってくれたよ。


この時点で、観客はもう十分に満足していた。でも、そこにFred again..とThomas Bangalterが加わったことで、まったく別次元のパーティーになった。翌日は、インターネットが壊れたかのようだった。ここまでの反響は正直予想していなかった。



ー 奇跡の瞬間をどう感じたか?



TJO:すべてが実現した瞬間、どんな気持ちでしたか?

Busy P:まずは純粋に「嬉しかった」。誇らしさよりも先に、楽しんでいる人たちの側に立っていた。

Thomasとは長い付き合いだけど、今でも心から尊敬している。あんなに近くで彼のプレイを見ることができて、ずっと興奮していたよ。すべての瞬間を愛していた。

物理的には観客から離れていたけど、愛はしっかり伝わってきた。それはフランスの音楽シーン全体にとっても良いことだった。僕らが20年間続けてきたこと、そしてこれからも続けていくことに、力を与えてくれる出来事だったと思う。

TJO:Thomasが新しいCDJの使い方を知らなかった、という噂を聞いたんですが、本当ですか?

Busy P:ああ、それは本当だよ(笑)。YouTubeで配信もされていたから、誰でも見られる。彼はずっとアナログ、Technics 1200でのプレイに慣れてきた人だから、CDJは新しいツールだった。でも、彼なりのやり方でプレイしていた。技術的に完璧じゃなくても、そこには確かなヴァイブスがあった。何かが起きていたんだ。




ー 現在のフランス音楽シーンについて



TJO:Because Musicの20周年は、フレンチ・エレクトロニック・ミュージック復活の象徴的な瞬間だったと感じます。Justiceのグラミー受賞や、Charli XCXらによるエレクトロ・リバイバルも印象的です。今、フランス・シーンはどんなフェーズにあると思いますか?

Busy P:すべてはサイクルだと思う。90年代後半のDaft Punk世代があり、2010年代にはMydのような存在が出てきた。Ed Banger、そしてJusticeとともに、僕らは“フレンチ・タッチ 2.0”を作ろうとしてきた。

Justiceは今や完全に成熟したアーティストだ。アルバムは4枚、世界中をツアーしている。日本に来ていないのは残念だけど、また戻ってくると信じている。グラミーを受賞し、Kaytranadaと共にUSの大きな会場を回っている。とても興味深いタイミングだ。これからは、新しい世代のフランス人プロデューサーたちが、自分たちの歴史を書いていく番だと思う。


TJO:2000年代初頭のフレンチ・タッチと、今の最大の違いは何でしょう?

Busy P:まず、音楽の見つけ方、聴き方がまったく違う。ストリーミングがすべてを変えた。スマホひとつで何でも聴ける。昔は渋谷のレコード店でディグっていた。今は自宅でBeatportや他のプラットフォームを開いて、即座に共有できる。

制作面でも、今の若い世代は誰でもプロデューサーになれる。アーティストにも、フォトグラファーにもなれる。その分、この巨大な海の中で目立つのは本当に難しい。AIも加わって、さらにカオスだ。だから若い世代には「頑張れ」と言いたいね。

TJO:Justiceの進化で、特に驚いた点は?

Busy P:常に成長し続けていること。プロデューサーとしても、ライブ・パフォーマーとしても、どんどん良くなっている。人生で出会った中でも、最も野心的なバンドのひとつだ。先週もニューヨークで一緒だったけど、20回、30回見ても、照明やステージ演出には毎回驚かされる。

同じことを繰り返すこともできたはずだけど、常に新しいものを持ち込む。Tame ImpalaやThundercatとのコラボも、その進化をさらに加速させている。






ー DJとレーベルオーナーとしてのバランス



TJO:長年DJとレーベル運営を両立してきましたが、どのようにバランスを取っていますか? またDJとして大切にしていることは?

Busy P:自分なりの“仕事ゾーン”を作っている。昼はEd Bangerのオフィスで、プロモーション、映像監督の選定、ツアーチーム作り、マーケティングをやっている。アーティストに奉仕するレーベルであることが好きなんだ。

でも、根本的な情熱はレコードをかけること。ハウスやクラブミュージックのね。この2つの世界のバランスが、僕を幸せにしてくれる。若い世代にアドバイスはあまりないけど、バランスを見つけて幸せでいられたら、情熱を仕事にできる。それが僕のやり方だった。




ー 日本のクラブ・シーンへの想い



TJO:日本には何度も来ていますが、日本やアジアのクラブシーンやリスナーについてどう感じていますか?

Busy P:僕たちは日本ととても強い繋がりを持っている。ツアースケジュールを見て、東京が入っていないと分かった瞬間、正直とても悲しくなる。それほどまでに、あの場所には他とは違うエネルギーがある。

東京のクラバーは、ベルリンのクラバーとはまったく同じではない。もちろん、どの街のオーディエンスもそれぞれ違うけれど、そこが僕たちが愛している部分でもある。東京では、早い時間からクラブに足を運び、朝までしっかりと音楽を聴く。好奇心が旺盛で、同じヒット曲だけを待っているわけではない。

Liquid Room、Contact、Vision、WOMB、これらのクラブは、エレクトロニック・ミュージックの歴史そのものだ。1995年のLiquid RoomでのJeff Mills、WOMBでのFrancois Kevorkian、YellowでのLaurent Garnier。そうした瞬間が東京で生まれ、世界のシーンを形作ってきた。




ー 日本の若いクリエイターへ



TJO:最後に、日本でキャリアを始めたばかりの若いクリエイターにメッセージをお願いします。

Busy P:とにかく違いを出してほしい。新しいデジタル・レーベルEDに音源を送ってくれるのは大歓迎だけど、BreakbotやJustice、SebastiAnみたいな音はいらない。

フレンチ・タッチはいらない。欲しいのは“あなたのタッチ”、日本のタッチだ。自由に、クリエイティブに、そして何より楽しんでほしい。




インタビューを通して感じたのは、Busy Pが今なお「過去の成功」に安住していないという事実だ。フレンチ・タッチという言葉に象徴される輝かしい歴史を誇りに思いながらも、彼の視線は常に次の世代、その次の音へと向かっている。「フレンチ・タッチはいらない。欲しいのは、君たち自身のタッチだ」。日本の若いクリエイターへ向けたこの言葉は、EDという新たなプラットフォームの思想そのものだろう。シーンは循環し、時代は移り変わる。だが、音楽を信じ、現場を愛し、変化を恐れない者だけが、次の歴史を作ることができる。Busy Pの言葉は、そのことを力強く証明していた。