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来日インタビュー!ピカソの末裔、フローリアンとは?
名画家ピカソの末裔DJ、その名もフローリアン・ピカソ(Florian Picasso)。先日初来日を果たしてDJセットを披露。その彼にインタビューを行なったところ、なんと衝撃の事実が発覚!話は思わぬ方向へと…。
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——初めての日本はどうですか?
ずっと日本に来てみたかったんだ。
日本は幼い頃から憧れの国。たくさん日本のマンガを読んで育ったし、ガンダム、ワンピース、もののけ姫……ずっと僕の人生の一部だったよ。
——“ORIGAMI”というヒット曲ですが、あれは日本の折り紙をイメージして作られたのですか?
そうなんだ。あの曲を作るのはすごく大変で、何度も作り直して試行錯誤して、やっと完成した曲だった。
その過程が、いろんな折り方で作り上げる折り紙みたいだと思ったからなんだ。だから”ORIGAMI”というタイトルを付けた。
ニッキー・ロメロのレーベル”Protocol Recordings”がこの曲をリリースしてくれて、本当に感謝している。ビッグなヒットになったし、僕自身にとっても大切な曲なんだ。
僕みたいな駆け出しのプロデューサーのビジョンを、名あるレーベルが理解してくれたのは、すごくありがたかったよ。
——いつ頃から音楽を制作しはじめたのですか?
17歳頃かな。自分で音楽を作って、ソーシャルメディアを通して公表していったんだ。
いろんな人からのフィードバックを受けながら、プロデュースのスキルを磨いていった。
本当に音楽が好きなんだ。
——他のアーティストと比べて、ここが違うというのはありますか?
“ORIGAMI”が大ヒットしたから、みんなからフローリアンのスタイルは“オリガミスタイル”ってよく言われるけど、もっとハードなスタイルも作っている。
だから最初の頃は違和感も覚えたけど、あまりにも多くの人に言われるから“ま、いっか”って思ったりも(笑)。
でも、ビジョンは持ってるよ。僕のスタイルは柔軟、いろんなビジョンを持っていること。
そのビジョンに従って忠実な音楽を作りたいと思っている。
他の人とは違うこと、自分だけのアイデンティティとブランドを構築したいんだ。
——ところで、ピカソの末裔と伺っていますが。
うん、でも僕はベトナムで生まれたよ。そして生後3カ月の時に、ピカソの孫娘に養子として迎えられたんだ。
僕の今の母がベトナムでチャリティ活動を行なっていて、ホーチミンの孤児院で僕をたまたま見かけて、養子に迎えてくれたんだ。
本当にクレイジーな話だよね。
母は本当に素晴らしい人で、ベトナムに新しい学校を作ったり、ベトナムのためにいろんな社会貢献をしている。
こんなふうにピカソ一族の養子になるなんて、ちょっとありえない話だよね。確率としてはマイナス200%くらい?(笑)
——以来、フランスで暮らしている?
そうだよ、育ったのはフランス。
ただ、フランスで長く暮らせば暮らすほど、自分のルーツを忘れちゃダメという気持ちが強くなってきた。
だからベトナムに帰って、自分の生まれ故郷などもちゃんと見てきたよ。
——ピカソ家での幼少時代はどうでしたか?
今の環境には本当に感謝している。ただ、フランスで育つのも容易ではなかったよ。
アジア人の顔をしながらピカソの名を受け継いでいる自分自身にも違和感を覚えたし、周りからもいろいろ虐められた。
中学・高校生くらいの年代だと、まだ人種の違いなどを受け入れられないんだよね。オマエの母さんは実母じゃないとか、偽物の母だって言われたよ。だからDJを始めたんだ。
DJたちを見て、みんなから一目置かれて尊敬される様子を見て、自分もあんなふうになりたいって憧れた。
周囲に溶け込むのが本当に大変だったから、この状況を打破するにはDJになるしかないって考えた。
動機としては不純だけど、本当のところだよ(笑)。
——日本で初めてパフォーマンスした感想は?
最高だったよ。こんなふうに日本に招かれて、こんなインタビューを受けていること自体、最高だよ。
僕はピカソ家の一員だけど、音楽を通してその一族の名にも貢献したいと思っている。
確かに僕のピカソという名だけに注目されてるようで落ち込んだ時期もあったけど……1年半ほど落ち込んで、音楽もやめていた。
でも、そういう修業みたいな時期を経て、アイデンティティも確立できたし、いい音楽を作れるようになったと思っているよ。
Text by EDM MAXX編集部(Q)
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