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世界的に大ブレイク! ジョナス・ブルーの来日インタビュー

EDMムーヴメント以降、デヴィッド・ゲッタやカルヴィン・ハリス、アヴィーチー、カイゴなど、ポップスとダンスミュージックを高い水準で見事に融合し、ダンスシーンの信頼を勝ち取ると共に世界中のヒットチャートを騒がせる存在が多く誕生してきた。彼らの多くはDJやプロデューサーとして長い道のりを経て、ようやく今のポジションを手にして来た。しかし、ここにたった4曲のリリースで彼らに続く新星として大きな注目を浴びている存在が現れた。それがジョナス・ブルー(Jonas Blue)だ。

ジョナス・ブルーは、本名をガイ・ジェイムズ・ロビン(Guy James Robin)と言い、1989年イギリス生まれ、ロンドンを拠点にDJ/プロデューサーとして活動している。

2015年に、トレイシー・チャップマンの1988年の大ヒット「Fast Car」をカヴァーしデビュー。それが瞬く間に世界的に大ブレイクし、Spotifyでは3億回以上の再生回数突破など、以降も毎回出すシングルが軒並みヒットを記録し、次なるトップ・プロデューサーとしての地位が約束されている。

そんな彼の人気はもちろんここ日本でも凄いもので、2017年10月8日に渋谷のClub Camelotの12周年アニバーサリーにて待望の単独初来日が実現。クラブに2000人!? 近くもの集客を集め、改めて彼の注目度の高さを認識させられた。

そして最近では、シングル「We Could Go Back feat. Moelogo」をリリースし、勢い止まらぬ中で来日を果たしたジョナス・ブルーにインタビューを敢行。

名前の由来からこれまでの音楽遍歴〜制作に対するマインドやDJなど様々な話をたっぷり時間をかけて聞く事が出来た。

Text by TJO

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——まず、ジョナス・ブルーの名前の由来はどこから来たの?

もともとスカンジナビア(スウェーデン、ノルウェー、デンマークなど北欧地域)のハウス・ミュージックをよくプレイしていたからスカンジナビア系の名前が欲しかったんだ。それで思いついた名前がヨナス(Jonas)だったんだけど、僕はイギリス人だからそれをジョナスって発音に変えたんだ。そしてブルー(Blue)は自分の好きな色が青だから、それでジョナス・ブルー(Jonas Blue)になったんだ。

——なんでスカンジナビアの音楽から名前を取ろうと思ったの?

当時はカイゴやアヴィーチーなど、そっち系のハウス・ミュージックが流行っていたから、自分はスウェーデン人ではないんだけどスウェーデン(スカンジナビア)系の名前が欲しかったんだよ。

——もとも音楽にハマったきっかけは?フルートを勉強していたんだよね?

だいたい子供の頃って親が音楽レッスンに通わせるじゃない。僕もそんな感じでフルートを習い始めたんだ。もちろん両親がいつも素晴らしい音楽を聴いていて、自分の周りにいつも音楽があったという環境も大きかったけど、始まりは親が僕をフルートのレッスンに送り始めたときだね。

——出身地であるイギリスのエセックスの環境だったり、音楽好きの両親からの影響でディスコやソウルを沢山聞いて来たと思うんだけど、古い曲で特に好きな3曲を挙げるとしたら?

まず確実にマイケル・ジャクソンの「Billie Jean」だね。この曲には大きな刺激を与えられたよ。



他にはバリー・ホワイトの「You’re the First, the Last, My Everything」かな。



それと3つ目はアバ(ABBA)の歌かな。僕がマックス・マーティンを好きになったのもアバのお陰だし、僕の両親も熱心なアバのファンだったからね。



——それじゃあ、最初にハマったダンスミュージックは?

最初にハマったのはDefectedっていうハウス・レーベルの曲だった。初めて聴いた曲がイビザに関するテレビ番組を観ていて、そこでかかっていたジュニア・ジャックの「My Feeling」だったんだ。

これはアレクサンダー・オニールの曲をサンプリングしていて、僕の両親はディスコも常に聴いていたからそういった影響もあってディスコをネタにしたこの曲を好きになったね。




——サンプリングされているダンスミュージックとかも好きだったりするの?

そうだね。作曲を始めたばかりの頃は、自分のターンテーブルでビートやループをいつもサンプリングしてたな。

——なるほどね。そしたら自分でダンス・ミュージックを作ろうと思ったきっかけは?

あれは12歳の時だったな。初めて音楽ソフトを手に入れて、そのソフトは既にループが内蔵されていて自分で音楽を追加することはできなかったんだけど、11歳でイビザの番組を見て、12歳でそのソフトの内蔵されているループを使って自分の曲を作り始めていったんだ。

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——君の曲はイントロから人の耳と心を掴むリフを作るのが天才的だと思うんだけど、制作時に心がけていることや秘訣はある?

メロディーだね。歌詞も大事だけどメロディーの方がより大事だと思う。自分が常に探し求めているのは素晴らしいメロディーなんだ。

誰かがこう言っていたんだけど「あまり良くない歌詞でも素晴らしいメロディーがあれば大丈夫。でも良いメロディがないと良い歌詞もできない。」って。まさにそれで僕は常にメロディーを重視してるんだ。

新曲を作り始める時はいつもピアノから始めてるんだ。そしてその次に歌詞を考えているよ。



——作曲について詳しく聞きたいんだけど。メロディから作り始めるって言ったけど、どこからそのアイデアやインスピレーションが湧くの?

大体はピアノの前に座って一番最初に思い浮かべるね。ピアノの前に座ってから最初の20〜30分で思いつくメロディが最終的に使われているね。

「Mama」や「Perfect Strangers」、他にも「By Your Side」で最初に聞こえてくる、あのピアノのパートはスタジオで最初に思い浮かんだものを採用しているんだ。

あまり深く考えないようにしているんだ。良い感じの響きが出来たなと思ったらそれでやっちゃうね。



——「Mama」は単に母親に送ったメッセージの曲ではなかったりするってインタビューで語ってたけど、楽曲の美しさだけでなく、そういった歌詞の世界観なども一貫してるけど、作詞などに関わったりする?

僕の曲は全て自分と共作者とで作っているよ。プロダクションは全て僕が手掛けているけどね。

歌詞に関しては、他の人とコラボするのが大好きなんだ。『Mama』は確かに母親へ向けた曲ではなくて「心配ないさ」という気持ちを曲にしたかったんだ。若かった時の心配や苦労もあまりなく気楽に人生を楽しんでいる瞬間を思い出して欲しくて。

この曲を聴いている3分間だけでも、他の事を忘れて音楽そのものを楽しんでくれるような曲を作りたかったんだ。「Mama」は実際にリスナーみんなを良い気分にしてくれる、そんな曲になったと思うよ。



——「Fast Car」や「Perfect Strangers」、「By Your Side」とダンスとポップスを高いレベルで融合するのは大変だと思うけど、やっぱりそこに苦労は感じる?

そうだね。一番難しいのは多くの人がそれに挑戦しようとしている事だ。

でも良いポップスを作るにはスキルが必要なんだ。ポップスって作るのが簡単じゃないんだ。よりシンプルなものを作ろうとするほど難しい。

まず最初の難関は、素晴らしい曲を作ること。そして次にダンスミュージック・シーンから、そのポップスとダンスを融合した曲に対する信頼を得る事。

ダンスミュージックは大体インストだったり短いサンプルの駆使したものが多いから、伝統的なポップスと融合させたものがちゃんとダンスミュージックとして機能する事が必要だと思う。

だからまずは皆が一緒にシンガロングできて楽しめる素晴らしい曲を作ること、そしてその音楽に対する信頼性も得る、この2つが一番難しいね。



——「Mama」はロウビートな作風になったけど、意図的に過去3作からの違いを出そうとしたの?

そう、これは裏に意図的な決断があったんだよ。今のイギリスではアップビートなダンスミュージックが流行りだから、ちょっと違うことを試してみたかったんだ。

特に『Mama』 のバースにはアーバンな響きがあるんだけど、これは僕が今までやった事がなかったテイストなんだ。だから今までとは違った事をしてみようと思ったんだ。

それと様々なマーケットにアピールしたかった。アメリカではあまりアップビートなエレクトロニック・ダンス・ミュージックは流行っていないから、自分のサウンドは失わずに、かつビートをゆっくりにしてちょっと違うことを試してみたかった。「Mama」はそれが出来たと思うよ。

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——DJはどういうスタイルでやってるの?

多くのDJはコントローラーなどを使っている人もいるけど、僕はどの現場でも昔ながらのやり方でDJしているし、それが好きなんだ。常にプロモや新曲が送られて来て、それをチェックしたり、自分で掘ったりしている。

そしてフロアの客の雰囲気やその場のリアクションで何をプレイするか決めているよ。それが僕のDJスタイルだね。

いつもどこの国や場所でやるにしても観客を見てやっているから毎回プレイスタイルも変わってるんだ。

——最初のDJ/ギグは覚えてる?

初めてのDJ体験は11歳の時、友達のハロウィンパーティーだったな。その日はTLCとかジュニア・ジャックのその時にハマっていたダンスミュージックを回したな。僕の中で何かが変わったね。

——今までで一番印象的だったギグは?

本格的にDJになったばかりの最初の時期のギグの一つで、メキシコシティのアステカ・スタジアム(Estadio Azteca)かな。10万人の前でのギグだった。

当時は「Fast Car」しか出してなかったんだけど、みんなが一緒に歌ってくれて本当に凄かったんだ。それから帰ってから「Perfect Strangers」を作ったよ。

——最近はライブ・バンドを取り入れてるみたいだけど、それから得た刺激はある?

もちろんさ。自分の曲を違うアレンジで改めて作り直す事が出来るようなもので、自分一人でDJしたり、曲をプロデュースすることとも明らかに違うからね。

お陰でスタジオで制作したいと思う刺激も受けたし、ライブの時に違うことを試そうとも思わせてくれた。

——現行アーティストで共感シンパシーを覚える人は誰?

ショーン・メンデスはすごく良いと思う。ソングライターとしてもミュージシャンとしても彼は僕の音楽にいろいろとプラスをくれている思う。

逆に僕も彼の音楽にプラスになる事も加えられるんじゃないかって思うよ。いつかその日が来るとしたら素晴らしいコラボレーションになるはずだ。



他にはカルヴィン・ハリスも僕にとっては同じような存在だね。

——過去にマイケル・ジャクソンやカルヴィン・ハリスとコラボしたいとインタビューで語っていたけど、今は誰とでもプロデュースが出来るとしたら誰と一緒に仕事がしたい?

元フィフス・ハーモニーのカミラ・カベロ、それとショーン・メンデス、後はJバルヴィンだね。




——音楽以外の趣味は?

う〜ん、音楽以外の趣味か。何だろうな。映画を結構観るね。

最近で良かった映画は「American Assassin」かな。それとコレクターでもあって、映画のポスターを沢山集めてるよ。



最近だとすごく古い車、1965年のFiat 500を買ったんだ。そういう意味ではちょっとおじいさんみたいな趣味だよね。

——他の道に進む選択肢はあった?

きっとA&Rとかレコード会社の経営者とかそのような事をやっていたかも。自分の人生で音楽以外の仕事をやっているのが想像できないからね。

——今後はどういうアーティストになりたい?

音楽業界を変え、素晴らしい音楽を作った人間として認識されたいな。特にポップスとダンス・ミュージックではそうしようと努力しているよ。

いろいろと違ったことを試していって、そういう風に覚えられることが願いだね。

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Jonas Blue
We Could Go Back feat. Moelogo
Universal Music
iTunes
http://www.universal-music.co.jp/jonas-blue/