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父はあの人気DJ!? 超サラブレットな次世代スター、トーマス・ニューソン

現在弱冠20歳!今後のシーンを担う逸材として注目を集めるトーマス・ニューソン(Thomas Newson)。ハードウェルやニッキー・ロメロのレーベルからリリースし、DJとしても大活躍。さらには超イケメン! まさに三拍子揃った彼の父親は、なんとあの人気DJだった!

20歳にして名門レーベル:Spinnin’ Recordsをはじめ、Protocol Recordings(ニッキー・ロメロ主宰)やRevealed Recordings(ハードウェル主宰)などからリリースを重ねるオランダの若き新星:トーマス・ニューソン。プロデューサー、DJとして活躍するだけでなく、彼は様々なベンチャー企画を実現し、いわば実業家的な一面もある、まさに新時代のアーティスト。しかも、そんな彼の父親はなんと人気アーティスト:マルコV。彼は人気DJである父親から何を受け継ぎ、何を学んだのか。さらには、その華麗なるアーティスト人生や彼が考えるシーンの未来まで、4月の来日時にEDM MAXXが彼をキャッチ!

——そもそも音楽に目覚めたきっかけはなんだったの?

「14歳のときにクラスメイトがFruity FL(音楽制作ソフト)を教えてくれたんだ。そのときは一週間しかやらなかったけど、コンピューターゲームよりも楽しかったのを覚えてるよ。それで、16歳で初めてMacを買って、Logic Pro(音楽制作ソフト)を始めて、そのとき作ったトラックがSpinnin’ Recordsからいきなりリリースすることになったんだ」

——曲作りに関しては誰かから学んだりしたの? それとも独学?

「独学だね。ただ、父親が人気DJだったから、僕はダンスミュージックを聴いて育ったんだ。10歳の頃から聴いてたね」

——お父さんがDJってスゴいよね。小さい頃はお父さんとツアーに行ったりした?

「行ってたよ。最初に行ったのは多分8歳か9歳のころかな。アムステルダムに行ったんだ。そこはフットボールのスタジアムのような場所で、僕はそこのイスに座ってた。人ごみの中に行くにはちょっと若すぎたからね(笑)」

——お父さんからいろいろ影響を受けた?

「父親は、音楽制作については全く手伝ってくれなかったんだ。音楽をやりたいなら自分でやりなさいって感じでさ。だから全て独学だったんだけど、僕にとってはそれが良かったんだと思う」

——ちなみに家でお父さんはどんな人だった?

「いたって普通だよ。でも、新しい曲があるときはお互い聴かせ合ったりしてたね。それが良くなかったときは『悪いけど、これは良くないと思う』ってしっかり言ってたね。もちろん逆も然り。音楽についてよく話し合っているよ。父親からはテクニックとかじゃなく、もっとベーシックなインスピレーション的な部分を教わったと思うな」

——16歳から音楽制作を始めて、自分には音楽しかないって思ったのはいつごろ?

「最初のレコードを契約したときかな……。あとは、ハードウェルが『Tomorrowland』で“Parallloid”をプレイしてくれたとき。そのときビッグになれると思って学校をやめたんだ。音楽で生活していこうと思ってね」

——それは何歳のころ?

「17歳、18歳かな。初めてのリリースは17歳。Spinnin’ Recordsから“Delta”をリリースしたんだ。ハードウェルがプレイしてくれたのは、僕が彼のレーベル:Revealedに“Parallloid”を送ってたからだと思う。それが彼の手に渡ってプレイしてくれたんだろうね。僕はそのことを知らずに『Tomorrowland』のライヴ・ストリーミングを見てたら、ハードウェルが僕のトラックをかけてたんだ。あれはホントヤバかった」

——その後、君にはどんな変化があった?

「ニュー・ワールド・サウンドと一緒に曲を作ることになって、“Flute”ができたんだ。僕にとって“Parallloid”と、この“Flute”がサクセスに繋がった曲だと思う」

——“Flute”は、フルートを使ったとても興味深い楽曲だけど、どうやってできたの?

「ニュー・ワールド・サウンドと一緒にやることになって、お互いアイディアを出し合ってたら、彼がフルートのエディットを送ってきたんだ。それで、それが面白かったから僕も何かトライしてみたいと思って、二週間ぐらいで曲を作った。その後Spinnin’ Recordsに送ったら、すぐにリリースすることになってね。しかも、それをW&Wが『ADE』でプレイしてくれたんだ!」

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——最近ではツアーを開催したり、だいぶ生活も変わったと思うけど、そのあたりはどう?

「生活は大きく変わったね。世界中でいろいろなものを見たりしたし。あとは、“Flute”をリリースしたときなんかは、みんなが僕と友だちになりたがって寄ってきたよ。僕のことを嫌ってた人も友だちになりたがってたね(笑)。それが一番の変化だったかな。みんな僕と関係を持ちたがって『なんだよ……』って思ったりもしたけど、僕は本当の友だちは誰かわかってるつもりさ。話しかけられればしゃべるけど、彼らのことは本当の友だちじゃないと思ってる。でも優しくしないとね(笑)」

——今のところ何カ国ぐらい行った?

「アジア、アメリカ、ヨーロッパ全域、あとはメキシコ……多分ブラジルやサウス・アメリカ以外はほとんど行ったかな」

——どの国が一番印象的だった?

「カルチャーショックだったのはインドかな。結構カオスだったよ(笑)。ただ、なんてクラブだったかは忘れたけど、ギグは良かったよ」

——どこの国の食べ物がおいしかった?

「アジアだね。僕はアジア、日本の食べ物が大好きなんだ。寿司も好きだし、12月に行ったときには天ぷらを食べたけど、すごくおいしかったね。アジアの食べ物は基本的に大好きだよ。父親もアジアの食べ物が好きだったからかな(笑)」

——今までで一番最高だったギグは?

「ちょっと前にブラジルのサンパウロでプレイしたんだけど、春休み中のフェスみたいな感じでハードウェルやW&W、ダニック、ティエストとかビッグ・アーティストがたくさん出てて、お客さんも1、2万人いてスゴくよかったよ。あとは、去年の『Tomorrowland』だね」

——そういったフェスのステージに立つというのはどんな感じ?

「すごいエナジーだよ! そこでは僕もいつもジャンプしてる(笑)。そういう日の夜はもう眠れないよね。その後はだいたいノンストップで朝10時までパーティしてるよ。それで、帰ってから死んだように寝てる(笑)」

——楽曲を作るときに重要視してることは?
「ミキシングとマスタリングが大切だね。全部自分でやるようにしてるんだ。誰かにやってもらっちゃったら、その曲を人前で披露できなくなりそうだからね。自分が作った曲をかけてお客さんが(楽しんで)発狂してるのを見るのは最高だけど、他の人が作ってたらお客さんにウソついてるみたいだからさ」

——普段、ツアーがないときは何をしてるの?

「できる限り曲を作ってる。あとは、友だちと遊んでるよ。友だちと会うことは僕にとって大切なことなんだ」

——曲はどんなときに作ってる? 毎日? それともインスピレーションがおりてきたときだけ?

「おりてきたときだけだね。ただ、それが朝なのか、昼なのか、夜なのか、その時々で違うけど」

——ちなみに、去年は何曲ぐらい作った?

「わからないな……終わらせてない曲もたくさんあるからね。ピアノのアイディアだけができていたり。ただ、去年はたくさんトラックをリリースしたよ」

——ちょっと前にアフロジャックと話す機会があったんだけど、彼は去年259曲作ったらしいよ。

「それはヤバいね(笑)」

——自分の曲の特徴ってなんだと思う?

「シグネチャーな音があって、グルーヴがあって、エネルギッシュなところかな」

——では、ステージでDJしてるときは何を考えてる?

「何だろう……ただ音楽をプレイしてるって感じかな……でも、観客はできるだけ見るようにしてる。ちょっとEDMに飽きてるって思ったらディープなものもかけるしね。個人的にはDJとしてそれが一番大事だと思う」

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——今はEDM人口も増えてきているけど、君はどう思ってる? 今後どうなると思う?

「今は曲を作るのも本当に難しいね。どれもみんな同じようだしね。それはディープハウスも含めて。誰かが何かを始めないといけないし、でも何をしたらいいのかわからない感じがする。個人的には、多分みんなもっとラジオ的なことに挑戦したいんだと思う。ボーカルを取り入れたりね。マイアミの『Ultra Music Festival』でも、そういったプレイをしていた人がいたし」

——今年の『Ultra Music Festival』では、スクリレックスがトリをつとめていたことに驚いたよ。

「彼はとても良かったね。ああいった音楽が一気に広まって、アメリカではすごく今人気だからね。しかも、スクリレックスは他のアーティストと全然違う。だから僕は大好きさ。『Ultra Music Festival』では、彼が最も際立ったパフォーマーだったと思う」

——P・ディディやジャスティン・ビーバーがステージにあがって、一緒にやってたことについてはどう思った? ピュアなダンスミュージックの雰囲気を壊しちゃうから良くないっていう人もいたみたいだけど。

「僕はとても良かったと思うよ、ライヴっぽい感じで面白かったしね。僕も新しいヒットソングができて、誰かがボーカルをやっていたら、その人もステージに呼んでやってみたいと思う」

——君の出身国であるオランダは世界有数のダンス大国だけど、なんでそうなったと思う?

「それはダンスミュージックとかクラブ・シーンが始まる頃まで話が遡る必要があるね。ただ、1つ言えるのは、僕たちはみんなダンスミュージックを聴いて育ったからだと思う。あとは天気があまり良くないからみんな家やスタジオに閉じこもっているのもあるかも(笑)。とにかくオランダにはいいDJがたくさんいるよね。ハードウェルにマーティン・ギャリックスにティエスト……名前を挙げたらきりがないよ。その他にもDJフレンテやレディBとか、オランダでは有名だけど世界ではあまり知られてない人もいる。きっと彼らはリリース、自分の曲がないから有名じゃないだけだと思うけど」

——ギグをする際にステージのライティングとかでこだわりはある?

「そんなに気にしてないね。スクリーンに僕のロゴが映ってればいいかな」

——それはハードウェルも同じことを言ってたよ。本当はダンサーとかもいらないって。

「そうだね。ダンサーはいらないかな(笑)。音楽があれば別の演出とかはそんなにいいと思ってる」

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——さっき、みんな何かを始めないといけないって言ってたけど、君も新しいことを考えてる?

「考えてるよ。たとえば、日本人のソングライターと一緒に日本のマーケットだけに向けたリリースをやったり、アジア人とアジア向けのことをやったりね。あとはEDMとはまた別でラジオ向けのものをやりたい」

——ラジオ向けっていうのはポップのこと?

「そうさ。ボーカルを入れてね」

——日本の印象は? 去年の12月にも来日してたんだよね。
「東京も日本も大好きだよ。カルチャーも食べ物も、そしてクラウドもすごくいい。あとは、夜でもすごく明るくて、今日も歩き回ってた。ショッピングも楽しいね」

——日本の若いDJにアドバイスをお願い。

「僕は、本当に好きな音楽をたくさん聴いて、それをリメイクし始めたんだ。そうするとトラックの仕組みがわかってきた。コピーすることから始まって、曲を1人で作ることができるようになったんだ」

——それが16歳のときだよね。当時は1日何時間ぐらいやってたの?

「学校以外、自由な時間はすべて使ってたね。18時ごろ家に帰ってきて、毎晩2、3時頃までやってたかな。だから、週末はいつも疲れ果ててたよ。でもとても楽しかった」

——最後に夢を教えて。

「音楽を作り続けること……今もうすでに実現しているけどね(笑)。でも、こんなに成功するなんて思いもしなかったんだ。その次は『Ultra』でプレイしたいな。そのためにはビッグヒットがないとね。でないとプレイできないと思うし」

——アフロジャックに、どうやって今の位置をキープしているのか聞いたら、ヒットソングがあればいいって言ってたよ。

「その通りだと思う。ヒットソングがあればその年のブッキングは埋まるからね。でも、それが難しいんだよね。彼は作る曲が次々とヒットするから尊敬してる。曲を作るのは本当に難しいからね」

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Interview by EDM MAXX編集部(JK)